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2008年3月19日 (水)

やってみて、言って聞かせて、やらせてみて、褒めてやらねば、人は動かず

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最近感じていること。

上の言葉は、真理だと思う。常に私のなかにもある。私も自分でも、もっともっとやってみたいから、自転車をやるという面もある。それも仕事上の手だての一つとしている。

写真は、最近のコルナゴ。コルナゴが嫉妬するといけないから、のせときます。(^^;)

話をもどして、しかし中学生はこれだけでは、不十分な場面が多々ある。
『問答無用でやらせる』ような場面が必要になる。まず経験させる、感想を聞く、気乗りしないところから楽しいことを見つけさせること…

これが全くわかっていない大人がいる。なんでも子に納得させてからでなくてはいけないと本気で思っている。強引なこと、子の気持ち(ほんとは気持ちなどというものではなく、単なる子の気分なのだが)を無視したことは悪であると本気で思っている。
子はそんな大人をしっかりと見ていて、それを利用したりする。『僕は~だから、やらないのだ』と、他に理由づけをしてみたりする。
完全に子にふりまわされている。

『子が朝食を食べてくれない』と言って、朝食にケーキやお菓子を中心に出す親が増えているのだそうだ。ほんとに、あきれるやら、笑ってしまうやら。

子の気持ちを大事にしたいと言いながら、実はそういう大人にかぎって、『子のせいにしている』
自分が責任をとるのが嫌なのだ。または自分に自信がないのだ。またはその余裕がないのだ。

私は職場では、かなりのカリスマ性をもたせている。この先生がそう言うのだからということだけで子に納得させるような場面も、ときにはつくりだす。
それだけに、その力を絶対に自分のためには使わない。自分の都合には使わない。すべて相手のために、その力をどう使ったら良いかという意識でしか、使わない。
そして、私を信用できなくなったら、いつでもやめてもよいからね。電話一本でよいよ。保護者の方には、こちらからなにも言わないからねと言っている。私は親ではないので、逃げ場所だけはつくっている。

しかし保護者は誰でも自分の子に対しては、本来、カリスマ性を持っているのだ。子は絶対に親を無視できない。そして私のときのように電話一本で逃げることもできない。

話をもどして、問答無用で決めるというのは大人でも必要なことだと思う。
誰かをみて、少しずつ信用していくということもあるかもしれないが、私の場合は、あ~この人だ!とまず信用する。そしてその人とつきあう。そうするなかでお互いに必要ならば変わっていく。また、この場面に入ろう、この場所でやろうと、まず決める。そして必要ならば、自分の責任で変えていく。
それくらいのパワーがなくては、自分の成長もないだろうし、楽しくもならないだろう。

よく最近の子が無気力傾向、ひきこもり傾向、というけれど根っこの部分は、このような問題もあるケースが多いと思っています。

大人が責任をもとうとすること、楽しそうに生活すること だと思っています。

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