教育

2008年4月23日 (水)

もらっているという意識

今日は朝から自宅で仕事にきりかえた。
今週は、自転車のトレは心身とも停滞気味。しかしそれを楽しんでいます。
嫌でも今週末にむけてあがっていくだろうと…。dash

ということで今日は違うことを。
人はどこで間違えるのだろうと。ふっと振り返ると、えっこんなはずじゃなかったと…。

もらっているという意識がなくなって、与えているという意識ばかりになったときだろうって思う。
よく先輩から言われた。人間関係さえできていれば、たいていの事をしても許してもらえると。そういうものなんだって。それに甘えて今までやってきたように感じる。
しかしこの人間関係ってなんだろう?
経験からいえることは絶対に一方通行ではない。お互いにお互いを感謝しあう関係だろう。これを一方通行であると、片方の人が勘違いをしたときに簡単に人間関係は崩れる。

教師と生徒の関係でさえそうだ。
私がある面では、ある場面だけを見れば、生徒に対して傲慢でも許してもらえたのも、その生徒に対してある種の尊敬の念や、よい部分をしっかりと認めていたからだと思っている。それがなくなったときには、簡単に大問題に発展するだろう。

私が今までやってこられたのは、能力なんかじゃない。
人のことを好きになったり、かわいいと思ったり、すごいなあと単純に感動する心だったり、信じる心だったり、そんなもののおかげだと思う。

私はいつもいっぱいもらっている。

それでいてお金までもらっている。coldsweats01

なんとか、お返しをしなくちゃ。

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2008年4月11日 (金)

対策あって教育なし

組織のなかに入っていたときに、上の言葉を実感したことが多々あった。
人のことではなく、自分の事としても。

教育だけではなく、例えば政治力も必要になることがあったりして。
役場に行ってお茶を飲み、公民館に行ってお茶を飲み、よその学校に行ってお茶を飲み、その地域に入って運動体とお茶を飲み、担任の先生と保護者の間に入ってお茶を飲み、根回し等をする。
私は20歳代の後半で、そんな役職についた。(つかされた…)
その役職としては長野県でもっとも若かった。
それなりに結果もだしたし、評価もされたが
若かっただけに、『あ~、こんなものか』という挫折感も強かったのかも。
例えば、例え学校長になっても、その上にはたくさんの人がいて、なにも変わらないことを見てしまったというか…。

今は、ほんと幸せだと感じている。自分の手の届く範囲で、自分の能力に応じた子の人数を自分で調整しながら、個々の子とつきあえる。

なんというか、変化球を投げなくて良い。直球勝負で、ずっとやってられるというか…。

しかしその後遺症として、『熱いですね~』と、ときどき言われてしまう。(^^;)

ほんとは、そんなことないのだけれどね~。ほんの私の一面だけなんだけど…。
けっこう、タヌキも演じられるのよ。ただ、それを演じるのが嫌なだけで…。(いっしょか。)

そういっている自分がすでにタヌキか?smile

さて朝練に行ってきます。

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2008年4月 4日 (金)

次のステージへ

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旅立ちの前に。

さびた所を一生懸命落としていたりした。もっとさびたとこないですか?と言われ
『もう良いよ。勉強しなよ』って言ったみたりする。

椅子も机も、その他もピカピカ。

心もピカピカ。

昔、トイレの便器を素手で雑巾で磨き上げる子たちを見てびっくりしたことがある。
その方が輝いたときに、実感があって嬉しいということ

いつまでもその心を忘れないでほしいなあ

さようなら。

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2008年4月 3日 (木)

充電中

 今回、特に抽象的で…

主体的に生きるということ。人のせいにしないということ。
これは、人を正面から受けることにもつながる。物事を正面から受けることにもつながる。
そして外交的なように見えて、実は内向的だったりする。

そういう人の一番嫌いな言葉。

傍観者
逃げること

しかしときには必要なことかなって思う。
だって、ほんとにしんどくなるときがあるから。

私には何人も恩師がいるが
私が一番苦しかったときに助けてくれた方は、ほんとにすごい人だった。
『なんでも自分一人で背負おうとするな!』
『お前はすごい!』

と絶妙のタイミングで声をかけてくれる。
だから心が折れないですんだ。成長できた。

きっとその言葉かけの半分も思っていなかったのだろうと今にして思う。

ただ私にとってその言葉が、そのときに必要だったから声をかけてくださったのだと思う。

自分もそんな人になりたい。なれているだろうか。
今でも後になって、そうかこういうことだったのかと後悔することがある。

自分はまだぜんぜんなれていない。

憧れだなあ。

逃げることが嫌いな人へ。
でも休もうよ。休むことも必要だよ。楽しまないと長続きしないし。
十分にすごいと思うよ。私はずっと認めているよ。
ほんとすごいライバルだと思っています。

口にはあまりださないけどね。

やっぱり私はだめだね。

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2008年3月29日 (土)

注文の多い料理店

注文の多い料理店にはなりたくない。これが自営をやろうとしたときの方針で、今まできている。

例えば、まず規則ありきの場所をつくりたくないということ。そういう場所が多すぎると思っている。主体性とか生きる力とか言っておきながら、規則をまず出して、くぎを差すような場所がいかに多いことか。そういうのを目にすると、なにか逆に実力のなさを感じてしまう。
そういう私も、規則をつくりたくなる誘惑に、ときたま襲われる。常識をはずれたような人に、散々かき回され、去っていかれたようなときに、特に思う。しかし、それをしたら負けのような気がして思いとどまる。

自分が傷つくのと、まともな場所をつくるのと、どちらが大切か。後者を選びたい。

もっと単純に言って、自分の都合を先に言うのではなく、相手がどういう都合なのかを聞ける機会をつくることが大切だと思っている。なんとかして、その相手の願いによりそおうとすることが大切だと思っている。
当たり前のことですよね。それでお金をもらっているのだから。

偉そうなことを言っているが、当たり前のことですよね。しかしそれができていない場所も多すぎるような気がする。

例えば九州の旅行で体験した長崎のホテルだとか。そんなたいそうなホテルなのか。ホテルの何を守ろうとしているのか。勘違いをしているとしか思えない。

頭を下げることや、よりそう事が、自分(組織)をなくし、威厳をなくすことだと思っているのなら、実力がなさすぎる。ほんとうの威厳はそんなものではない。

そういえば、過去にこんな事があった。
私の学年に、学年主任のかなり厳格だと思われている先生がいた。その先生が担任をしていたクラスは、その先生に絶対服従のような雰囲気があった。しかし学年集会では、その先生が何回厳しく言っても、集会がはじまる時間が数分遅れる。体育館に集まる時刻が遅れるのだ。そのたびにその主任先生が厳しく指導するのだか、なかなか良い結果にならない。半分以上、私たちその他の担任の先生の責任というのもあるが…。
そこで、生徒会主任の私が、次回の学年集会の指揮を命じられた。ここで私も少し、いたずら心が働いて、少し動いた。私がやった事は、各学級長と生徒会長、副会長を呼んで、話をしただけ。『ちょっと、やってやらないか?』と言っただけ。結果は、はじまる5分前に全クラスが集まった。生徒はバカにしたものではない。ちゃんと見ている。口先だけじゃなく、自分たちのためにどれだけの事をやってくれた人なのか知っている生徒、そして自分たちが本気になったらどれだけの事ができるのかを知っている生徒は、確かにいるのだ。

この子(人)のために、自分はいったい何ができるのかを考えること。
威厳というのは、その過程でできるものだと思う。

あ~この人は本気だと思わせたら、規則などなくても、きちんと収拾はつくと思う。

なんでも本気になること(本気のように見せること)=すぐむきになること(むきになっているように見せること)

これは私の職業病だから許してね。(^_-)

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2008年3月27日 (木)

強くなれ

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昨日は卒塾式。しかし来て、普通に勉強していた。

筧 五郎さんの言葉
『自分にどれだけ負荷を掛けたかで勝負は決まると僕は勝手に思っている。』

そのとおりだと私もいつも思っている。

その点でいうと、この子たちはまさに自分から負荷をかけられる人たち。
どこにも、ごまかしがない。

私は、この子たちを誇りに思っている。

ひるがえって私は?
まだまだ、よちよち歩きの状況。
どちらが先生かわからない。

家に帰って、何か月ぶりの、一人での、乾杯。

期待しています。

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2008年3月19日 (水)

やってみて、言って聞かせて、やらせてみて、褒めてやらねば、人は動かず

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最近感じていること。

上の言葉は、真理だと思う。常に私のなかにもある。私も自分でも、もっともっとやってみたいから、自転車をやるという面もある。それも仕事上の手だての一つとしている。

写真は、最近のコルナゴ。コルナゴが嫉妬するといけないから、のせときます。(^^;)

話をもどして、しかし中学生はこれだけでは、不十分な場面が多々ある。
『問答無用でやらせる』ような場面が必要になる。まず経験させる、感想を聞く、気乗りしないところから楽しいことを見つけさせること…

これが全くわかっていない大人がいる。なんでも子に納得させてからでなくてはいけないと本気で思っている。強引なこと、子の気持ち(ほんとは気持ちなどというものではなく、単なる子の気分なのだが)を無視したことは悪であると本気で思っている。
子はそんな大人をしっかりと見ていて、それを利用したりする。『僕は~だから、やらないのだ』と、他に理由づけをしてみたりする。
完全に子にふりまわされている。

『子が朝食を食べてくれない』と言って、朝食にケーキやお菓子を中心に出す親が増えているのだそうだ。ほんとに、あきれるやら、笑ってしまうやら。

子の気持ちを大事にしたいと言いながら、実はそういう大人にかぎって、『子のせいにしている』
自分が責任をとるのが嫌なのだ。または自分に自信がないのだ。またはその余裕がないのだ。

私は職場では、かなりのカリスマ性をもたせている。この先生がそう言うのだからということだけで子に納得させるような場面も、ときにはつくりだす。
それだけに、その力を絶対に自分のためには使わない。自分の都合には使わない。すべて相手のために、その力をどう使ったら良いかという意識でしか、使わない。
そして、私を信用できなくなったら、いつでもやめてもよいからね。電話一本でよいよ。保護者の方には、こちらからなにも言わないからねと言っている。私は親ではないので、逃げ場所だけはつくっている。

しかし保護者は誰でも自分の子に対しては、本来、カリスマ性を持っているのだ。子は絶対に親を無視できない。そして私のときのように電話一本で逃げることもできない。

話をもどして、問答無用で決めるというのは大人でも必要なことだと思う。
誰かをみて、少しずつ信用していくということもあるかもしれないが、私の場合は、あ~この人だ!とまず信用する。そしてその人とつきあう。そうするなかでお互いに必要ならば変わっていく。また、この場面に入ろう、この場所でやろうと、まず決める。そして必要ならば、自分の責任で変えていく。
それくらいのパワーがなくては、自分の成長もないだろうし、楽しくもならないだろう。

よく最近の子が無気力傾向、ひきこもり傾向、というけれど根っこの部分は、このような問題もあるケースが多いと思っています。

大人が責任をもとうとすること、楽しそうに生活すること だと思っています。

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2008年3月14日 (金)

卒業おめでとう

写真は、ホワイトデーの様子
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帰ってきてから、日常が忙しくて、今回の旅の総括ができていません。
輪行の仕方も詳しく紹介してほしいという要望もありまして、それも含めて
今週末ぐらいに、書ければと思っています。

では!eye

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2008年3月 4日 (火)

いよいよ。

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いよいよ、明日は公立高校入試日。
上の写真は、今の中3生が小学6年生のとき、3年前に彼らが書いたもの。

彼らはこの通りに実践した。

バカヤロー、やめちまえ!と言ったこともあった。
いつも自分から考えるように、厳しく接してきた。

全て笑顔で乗り越えた。

そんな彼らが明日を楽しめないはずはない。

健闘を祈る。sun

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2008年3月 1日 (土)

ただひたすらに

Photo
今晩、ようやく帰宅できました。
現在、追い込みの時期で、子たちがひたすらに取り組んでいます。
自転車の方も細々とやっていますが、意識の上では、しばし休憩です。

私のなかで一流という言葉を使ったりしますが、そのルーツを今晩ふと思い出して、インターネットで検索してみますと、上の画像が出てきました。
そうです、長野県の毛涯 章平先生のお言葉でした。一番よりも一流をめざせ。
「一位になるのは一人だが,一流には誰でもなれる。常に一流になろうと努力することが大切だ」という毛涯章平先生のお言葉です。
今の私の基礎を築いてくださった方でした。罰当たりにも、忘れていました。

その毛涯先生のお言葉だったと思いますが、そのなかに
『熱願冷諦』という言葉があります。
これは、私のなかでも常にある言葉ですが、現在でもなかなか良い具合にはいきません。
熱願が強すぎると、かえって物事が見えなくなってしまったり、人に対しては裏切られたと感じたりしてしまいますし、冷諦だけですと真実に迫ることが難しくなったり、最後のふんばりがきかなくなってしまいます。
もっぱら現在は、自分の夢や目標に対しの、過程においては熱願し、その結果に対しては冷諦するという心構えで使っています。
自信をもてるようになること、楽しくなることは、過程においてやりきることだけで十分に達成可能だと思っているからです。
また他の人に対しての自分の心構えとして使っています。
来る者は拒まず、去る者は追わずという意味合いが強いです。人とあたるということは、流れる川に字を書くようなものだと言った方がいます。本当にそうだと日々実感します。わずかな可能性を信じ、ただひたすらに実践します。普通の人からみたら狂人でしょう。

しかし、ただひたすらにやっていると、ときたま驚くようなことがおこります。
効率性や合理性ばかりを考えている人には理解してもらえないでしょう。
公よりも民が良いように、世間ではキャンペーンをしていますが、私はある面では間違えていると思っています。
今は私も民にいますが、公の教えは忘れてはいません。

脱線してしまいました。
ただひたすらに…
今でいいますと、ひたすらにやりきろうとしている子たちがいます。
もう進路が決まっている子ですら、現在自分で自ら目標をたて、厳しいところに自分を追い込み、いっしょになって勉強をしている子がいます。ほんとうにすごいと思います。
正直、過去に何百人以上も子を見てきて、今の数人の子たちのほうがすごいと感じています。
う~ん、私も幸せです。

『ただひたすらに、やりきること』
子たちの方がすごい。(^_^;)

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2008年2月25日 (月)

春。別れのとき。

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自宅の床。無垢の板です。お金が全くないときに、贅沢にも合板ではなく本物の板にしたのには理由があります。
あの時を忘れないように…。
いつか紹介したように、私の第二の故郷は大鹿村。その村のただ一つの中学校の大鹿中に私は新卒として赴任していました。当時の私は、早く一人前になりたい、一流になりたいという気持ちで、ギラギラとしていたと思います。
前任の学校長にも、当時の学校長にも、あと1,2年残って、この学校のためにやってくれないかと言われました。職員数が少ないところで、ちょうど定年退職される先生もいたりして、その中学校に2年以上いる先生が誰一人残らないのではないかという状態だったのです。
私は、そのたびに断っていました。自分は、浪人もして大学時代に留年もして、それでなくても人よりも遅れている、何とかとりかえしたい、この中学校では教科指導の勉強はできても、生徒指導の勉強はできないと、正直思っていたのです。それだけ、素直な子たちが多かったのです。もっと厳しいところにいかないと、自分はダメになってしまうのではないかと、偉そうに思っていたのです。
しかし、はれて異動が決まった後には、後悔、後悔の日々でした。私の担当は中学一年生。一年生としてただ一つの学級。この子たちをおいていくのか…。お酒を飲めば、オイオイと泣く日々でした。異動なんてやめれば良かったと。

いよいよ迫ってきて、何か自分に残せるものはないかと考えられるようになりました。当時の学校の廊下や教室は、無垢の板でした。しかもワックスもかかっていません。水など落とせば、簡単にシミになってしまいます。その二階の廊下を、いつも私は掃除のときに、気になる生徒を誘って、いっしょに雑巾がけをしていました。水をつけた雑巾を固く固く絞って、膝をつき、雑巾がけをします。一日や二日では、わかりませんが、30日たって、40日たつと、その輝きはすばらしいです。まるで鏡のようになります。その廊下のように、気になる生徒の表情も変わってきます。
私は異動の日まで、毎日遅くまで残って、自分の教室を、彼らがこらからも過ごすであろうその教室を、隅から隅まで磨く日々でした。最初はいろいろな気持ちが、入り混じって、いろいろな事を考えながら。しかし、ある時から周囲の雰囲気からも抜けだし、自分の気持ちからも抜けだし、空っぽになった自分になれました。それが本当に気持ちよかったから、やっていたのかもしれません。

そのときからかもしれません。
自分が、今いる組織、もっといえば環境や状況から何を得ることができるのかという意識ばかりではなく、自分が周りに何を与えることができるのかを考えることが大事なんだということを実感したのは。
あ~一流って、そういうことなんだな。あ~、強くなる、楽しくなるってことは、そういうことなんだなってわかったのは。

今、学習塾みたいなことをやっていて、去年の卒業生が、去年の3月に『先生、明日来ていいですか?』って聞いてきました。いつもの補習かなって思っていたら、それぞれ雑巾を持ってきて、教室を隅々まで拭きたいって言うのです。そんな事、一言も教えた覚えはありません。受験に失敗をした子もいます。それなのに、それなのに…。教室を去るにあたって、自分たちが何を残せるかって考えた、この子たちは、やはり一流なのだなと思った一こまでした。あ~、この子たちなら大丈夫。絶対に幸せになれると感じた一こまでした。

春、別れのときです。

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2008年2月14日 (木)

今日は私立入試日?それともバレンタインデー?

今日は入試日だというのに、うちの子たちはこんなことをやっていました。(^^;)
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ひもにチョコレートをつけて…

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これを

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ひきます。はずれです。

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私は3回目で、見事大物をゲットしました。(^_^)vありがとう!!

入試を終えた日に、こんな事をするバイタリティーがすごいでしょ。なにかうちの
チームにも共通しているような。
幸せですね~。

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